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「疲れた、仕事をしたくない、やる気が出ない」からの脱却法【71〜80】

芝生の近くの道路を走っている男

 

「疲れた、仕事をしたくない、やる気が出ない」からの脱却法

僕は教員歴10年目の中堅教師です。

いつか、仕事のやる気がなくなってしまったとき、村上春樹さんのこの本に出会いました。

 

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

 

「ブラック部活」という言葉が生まれるぐらい、昨今の学校現場も働き方について問われる時代です。

この本を読んで僕自身納得できることがたくさんありました。

 

これから紹介するのは、著書を読んで僕が大切だと思った文中の引用。そして、引用元から学校現場にどう生かすかという自分の考察です。

 

少しでも参考になる箇所があれば幸いです。

 

 

71 顔を上げる

 

「それ以来どんなに疲れていても、顔だけはいつも上にあげている。前方の路上にあるものを何ひとつ見逃さないようにしている。しかしそれはもちろん、気の毒な僕の筋肉を酷使することになる」

 

 疲れたり、落ち込んだりしたときこそ、「星を観る」ことにしています。

 なぜならば、星を観るためには顔を上げなければいけません。

 顔が上がれば、自然と気持ちが前向きになります。

 星を観る余裕ができれば、仕事も楽しくなるでしょう。

  

 

72 配達人

 

「それが僕のプランAだった。なかなか素敵なプランだ。しかし現実の人生にあっては、ものごとはそう都合よくは運ばない。我々が人生のあるポイントで、必要に迫られて明快な結論のようなものを求めるとき、我々の家のドアをとんとんとノックするのはおおかたの場合、悪い知らせを手にした配達人である。『いつも』とまでは言わないけれど、経験的に言って、それが薄暗い報告である場合の方が、そうではない場合よりもはるかに多い。配達人は帽子にちょっと手をやり、なんだか申しわけなさそうな顔をしているが、彼が手渡してくれる報告の内容が、それで少しでも改善されることはない。しかしそれは配達人のせいではな いのだ。配達人を責めるわけにはいかない。彼の襟首をつかんで揺さぶるわけにはいかない。気の毒な配達人は、ただ上から与えられた仕事を律儀にこなして…」

 

 突然訪れるニュースというのは、だいたい悪い知らせであります。

 もう仕方がありません。

 みんなそう思っているのです。

 悪い知らせを届けてくれる「配達員」も、きっと悪気はないのだと思います。

 ただ、世の中がそういうルーティンで回っているのでしょう。

 受け止めて、次に進んでいくのが大切ですね。

  

 

73 たかがマラソン

 

「『ふん、たかがマラソンじゃないか』というくらいのクールな姿勢で。それでどんな結果が出るものか見てみようと腹を決めたのだ」

 

「たかが仕事じゃないか」

と、ときには小馬鹿にしながら、余裕をもって働くのも大切ですね。

 

 

74 生まれつきの性格

 

「そう、誰がなんと言おうと、それが僕の生まれつきの性格なのだ。サソリが刺すように、蝉が樹木にしがみつくように。鮭が生まれた川に戻ってくるように、カモの夫婦が互いを求めあうように」

 

 年齢や経験とともに、姿勢や態度は変わっていくものですが、根本的な性格は変わりません。

 自分の性格を生かした働き方を考えていきましょう。

 

 

75 教師

 

「決まったことを、決まった手順で、決まった言葉を使って教えられる教師はいても、相手を見て、相手の能力や傾向に合わせて、自分の言葉を使ってものを教えることのできる教師は数少ない。というか、ほとんどいないと言っていいかもしれない」

 

 数十人いる子どもたちに先生一人で、その子たちにあった指導をするのは並大抵なことではありません。

 ただ、ここでのポイントは「先生一人で」というところです。

 ときには、いやむしろどんどん「子どもたち」の力を借りましょう。

 彼らはとてつもなく優秀です。勉強を仲間に教えることもできてしまいます。

 優れた先生は子どもたちの力を信頼しているのです。

 

 

76 補正する

 

「僕は思うのだけれど、まったく泳げない人を白紙の状態から教えていくよりも、ある程度泳げる人のフォームを改造していく方が、教師の側からすればおそらく難度は高いはずだ。一度身についた変則的な泳ぎ方を捨て去るのは、簡単なことではないからだ。だから彼女は強引にフォームの全面的改造をおこなうのではなく、身体の細かい動かし方を、ひとつひとつ時間をかけて補正していった」

 

 僕自身もそうですが、人の「クセ」というのは必ずあり、それを取り除くのはなかなか難しいものです。

 クセを取り除くには、まずは「自分の姿を客観的」に知ってもらうこと。

 iPadなどの動画ツールを使えば、言葉のフィードバックだけではなく、映像でも自分の姿を振り返れます。

 自分と向き合うことは恥ずかしいことです。

 ですが、そこで初めて弱点に気づき、さらなる成長につなげられるのです。

 

 

77 自分について発見

 

「たとえいくつになっても、生き続けている限り、自分という人間についての新しい発見はあるものだ」

 

「今年は最高だった。これ以上はない!」

と思える年度があっても、本当に不思議なものです。

 気がつくとたくさんの課題にあふれ、また新たな実践を求めるようになります。

 また、自分に長所がないと思っている人も、新しい仲間や行動に出会うと、今までと違う才能が発揮されることもあります。

 大切なことはチャレンジすること。

 そうすれば、自分自身への新しい発見はいつでも生まれるものです。

 

78 苦しいからこそ

 

「苦しいからこそ、その苦しさを通過していくことをあえて求めるからこそ、自分が生きているというたしかな実感を、少なくともその一端を、僕らはその過程に見いだすことができるのだ。生きることのクオリティーは、成績や数字や順位といった固定的なものにではなく、行為そのものの中に流動的に内包されているのだという認識に(うまくいけばということだが)たどり着くこともできる」

 

 生きているという実感は「嬉しい」「楽しい」ときだけではありません。

 それはたとえば、学生時代の部活で「つらい」「苦しい」経験したときもそうです。

 社会人になっても同じですね。

 ときには不当な批判で嫌な想いをしたとき、そこでの悔しさを味わい、それを乗り越えたとき、自分の人生を生きている実感を感じます。

 苦しさは人生ストーリーのドラマにしてしまいましょう。

 苦しさもドンとこいです。

 

 

 79 自分の足で走り抜ける

 

「僕のようなランナーにとってまず重要なことは、ひとつひとつのゴールを自分の脚で確実に走り抜けていくことだ。尽くすべき力は尽くした、耐えるべきは耐えたと、自分なりに納得することである。そこにある失敗や喜びから、具体的などんなに些細なことでもいいから、なるたけ具体的な教訓を学び取っていくことである。そして時間をかけ歳月をかけ、そのようなレースをひとつずつ積み上げていって、最終的にどこか得心のいく場所に到達することである。あるいは、たとえわずかでもそれらしき場所に近接することだ (うん、おそらくこちらの方がより適切な表現だろう)」

 

 他人の力を借りることは、これからの時代とても大切です。

 しかし最後は自分です。

 たくさんの失敗から学び、そこから教訓を得て、次に生かしていきましょう。

 行動あるのみです。

 

 

80 最後まで歩かなかった

 

村上春樹作家 (そしてランナー) 1949〜20XX少なくとも最後まで歩かなかった」

 

 自分の立場、仕事に誇りを持ちましょう。

 どんなに失敗を繰り返しても、「少なくともこれだけは!」という、自分だけにしかない金字塔があるとカッコいいですね。

 今の僕の場合は、「うまくいかないとき、少なくとも吃音のせいにはしなかった」になります。

 他人からはカッコ悪くても、自分にとってカッコよければいいのです。

 いつかこの人生を終えるとき、そんな想いを一つでも抱けたら最高ですね。

 

  

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